では、お城の中へ。
かなり賑わっていたようですね。
ちょっと読みづらいと思うので以下文字に起こしてみます。
「1600年、徳川忠義は関ヶ原合戦の功労により、豊前一国と豊後国で二群を与えられ、中津城に入った。しかし、九州最大の交通上の拠点であり、海外貿易にも便利、それに関ヶ原合戦で徳川軍に敵対した毛利へにらみをきかすため、居城を小倉へ移すことにした。これまでの小倉城は規模が小さかったので、1602年正月から40万石の大名にふさわしい大規模の城作りをはじめ、同年秋には小倉に移ってきた。」
割と、ちゃっちい城だなぁ~と思っていたのですがね...
つづく